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理事長ブログ 2012年12月
お墓と宗旨・宗派⑯最終話:単立寺院
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/220918/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/241446/
■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/281630/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271022/
■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271029/
■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/071000/
■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/111005/
■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/211122/
■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/091448/
■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/101326/
■お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/111711/
■お墓と宗旨・宗派⑬黄檗宗/万福寺(京都府宇治市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/12/021758/
■お墓と宗旨・宗派⑭日蓮宗/身延山久遠寺(山梨県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/12/041557/
■お墓と宗旨・宗派⑮真言律宗/西大寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/12/061148/
上記のコラムからのつづきです。
これまでに、日本の十三の宗派についてご紹介してきましたが、
とりわけ、戦後になってから既成の宗派から独立して新たな宗派を名乗り、
単立となった寺院も少なくありません。
今回はその中からいくつかの寺院をご紹介いたします。
ただし、教理的には独立以前と変わらないところがほとんどです。
先ずは東京浅草の浅草寺。
もともと法相宗の系統だったと思われますが、
平安時代のはじめに慈覚大師円仁が訪れて天台宗に改宗しました。
しかし、浅草寺は「浅草の観音さま」の名で親しまれ、
本尊の聖観音は宗派を超えて多くの人々の信仰を集めています。
このことから、戦後、聖観音宗として天台宗から独立いたしました。
奈良の法隆寺は創建623年の古刹で、
興福寺や薬師寺と同じ法相宗でした。
しかし、ここも戦後になって聖徳太子のゆかりの深い寺院ということで、
聖徳宗を名乗り、法相宗とは一線を画することになった。
また、大阪の四天王寺は推古天皇の元年(593)に、
聖徳太子によって創建された古刹であります。
当初は特に宗派に属することなく、
多くの人々の信仰を受け入れてきましたが、
中世から戦後までは天台宗に属していました。
しかし、終戦後、昭和21年(1946)に
天台宗から独立して和宗総本山を名乗りました。
これは聖徳太子が重んじた和の精神に基づくもので、
宗派を超えて万人を受け入れる姿勢を示したのであります。
平安時代のはじめに創建された京都の清水寺は、
長らく興福寺の末寺で法相宗に属していました。
しかし、大正3年(1914)に興福寺住職で
法相宗の管長だった大西良慶師が入寺しました。
当時、衰退していた寺を復興し、昭和40年(1965)に
法相宗から独立して北法相宗と改めました。
このように、戦後になって単立寺院となったところは他にも多く見られます。
~おわり~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1938号
失敗しないお墓づくりの相談は『神戸市石材企業協同組合』へhttps://www.sekizaikumiai.com/
(神戸市石材企業協同組合)
2012年12月 9日 17:16
お墓と宗旨・宗派⑮真言律宗/西大寺(奈良県)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/220918/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/241446/
■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/281630/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271022/
■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271029/
■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/071000/
■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/111005/
■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/211122/
■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/091448/
■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/101326/
■お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/111711/
■お墓と宗旨・宗派⑬黄檗宗/万福寺(京都府宇治市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/12/021758/
■お墓と宗旨・宗派⑭日蓮宗/身延山久遠寺(山梨県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/12/041557/
上記のコラムからのつづきです。
戒律は仏教徒の守るべき規律で、
これに従って修行をすればやがては悟りを開くことができるとされています。
在家の信者には五戒という五つの戒が定められています。
不殺生、不妄語、不偸盗、不飲酒、不邪婬の五つで、
これを守れば在家の者でも悟りの境地に至ることが出来ると言います。
そして、出家の修行僧には、男性の僧侶で二百五十戒、
尼僧には三百四十八戒という厳しい戒律が定められています。
このような戒律は奈良時代の中頃、鑑真和上が伝えたもので、
当時は奈良の東大寺、太宰府の観世音寺、
下野(栃木県)の薬師寺が天下の三戒壇として栄え、
仏教の基本である戒律が重んじられました。
また、鑑真和上は唐招提寺を創建して戒律の基本道場としました。
しかし、平安時代の後半になると、戒律は乱れ、
その内容を熟知する者も少なくなりました。
天下の三戒壇もすっかり衰退して、
有名無実のものになっていました。
そのような状況の中、平安時代の末になると、
戒律の復興に尽力する僧侶が現れました。
▲真言律宗総本山・西大寺
中でも、西大寺の叡尊(1201〜1290)は密教をはじめ、
法相宗など諸般の教理に通じていましたが、
それとともに戒律を詳細に研究して鑑真以来の律宗の復興に尽力し、
西大寺を律宗の根本道場にしました。
真言密教の教理と律宗の教理がどの程度、
融合したかについて詳細は不明でありますが、
後に西大寺の律宗を真言律宗と呼ぶようになりました。
また、叡尊の弟子の忍性(1217〜1303)は
北条長時に招かれて鎌倉に下り、
極楽寺を開いて戒律の普及に努めました。
彼は困民救済た架橋、道普請などの社会事業を行い、
忍性菩薩と称賛され、鎌倉に戒律の基盤をつくりました。
明治28年(1895)、奈良の西大寺を総本山と定め、
鎌倉の極楽寺や横浜の称名寺など、
数十ヵ寺が真言律宗として活動しています。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1933号
失敗しないお墓づくりの相談は『神戸市石材企業協同組合』へhttps://www.sekizaikumiai.com/
(神戸市石材企業協同組合)
2012年12月 6日 11:48
お墓と宗旨・宗派⑭日蓮宗/身延山久遠寺(山梨県)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/220918/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/241446/
■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/281630/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271022/
■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271029/
■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/071000/
■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/111005/
■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/211122/
■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/091448/
■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/101326/
■お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/111711/
■お墓と宗旨・宗派⑬黄檗宗/万福寺(京都府宇治市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/12/021758/
上記のコラムからのつづきです。
開祖の日蓮聖人(1222〜1282)は安房(あわ・千葉県)に生まれ、
12歳のとき、近くの清澄寺という天台宗の寺で出家しました。
しかし、ここで修行するうちに天台や浄土の教えに疑問を抱き、
さらなる道を求めて比叡山に登りました。
▲日蓮宗 曼荼羅
11年間にわたって比叡山で修行と勉学に励み、
ついに『法華経』こそ唯一最高の教えであることを覚ったといいます。
比叡山を下りた日蓮は大阪の四天王寺や高野山などを巡歴したのち、
故郷に帰って僅かな知人や帰依者を集め、
「妙法蓮華経(法華経)」の5文字の題目に
釈迦一代の教えが凝縮されていることを説きました。
これが、日蓮宗の開祖宣言になりました。
その後、鎌倉に出て辻説法をして信者を獲得しましたが、
同時に他宗を激しく攻撃したため迫害されることにもなりました。
日蓮の論調は熾烈を極め、『法華経』を信じなければ、
天変地変が起きたり外敵の侵略を受けると公言してはばからなかった。
そして、『立正安国論』を著して幕府を批判したことから、佐渡に流されました。
佐渡から帰った後は身延(山梨県)に草庵を結び、
弟子の育成と著作に専念しました。
晩年は体力も衰えて病気がちでした。
60歳の秋、厳しい身延の冬を避けて常陸(茨城県)に湯治に向かう途中、
今の池上本門寺の地で最後を遂げました。
日蓮は生前、日昭、日郎、日興、日向、日頂、日持の
六人を本弟子(六老僧)と定め、日蓮亡き後のことを託しました。
六老僧のうち、日向と日興との間に確執が生じ、
結局、日興は富士に拠点を設けて分派を生じました。
この日興の分派が日蓮正宗であります。
▲日蓮宗総本山、山梨県の身延山久遠寺
現在、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗のほか、
富士の大石寺を本山とする日蓮正宗、法華宗、本門宗、
本門仏立宗、日蓮宗不受不施派など多くの分派があり、
それぞれ独自の活動を展開しています。
また、在家信仰団体として、立正佼正会、霊友会、創価学会などがあります。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1930号
失敗しないお墓づくりの相談は『神戸市石材企業協同組合』へhttps://www.sekizaikumiai.com/
(神戸市石材企業協同組合)
2012年12月 4日 15:57
お墓と宗旨・宗派⑬黄檗宗/万福寺(京都府宇治市)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/220918/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/241446/
■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/281630/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271022/
■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271029/
■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/071000/
■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/111005/
■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/211122/
■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/091448/
■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/101326/
■お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)
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上記のコラムからのつづきです。
9世紀、中国福建省福州府の黄檗山という聖山を拠点に、
希運という禅僧が開いた一派です。
この山には、染料や薬用にする黄檗(キハダ)という
樹木が多いことから黄檗山の名前で呼ばれていました。
希運の門下には臨済義玄があり、
臨済宗の祖となったことは周知の通りであります。
▲黄檗宗初伝の寺、長崎市の崇福寺
日本には江戸時代のはじめに、長崎の華僑の人たちが超然という
中国の禅僧を招いて崇福寺を建立したのが黄檗宗の初伝であります。
その後、承応3年(1654)、インゲン豆を伝えたことで知られる、
隠元隆琦(いんげん・りゅうき 1591〜1673)禅師が、
崇福寺の逸然らの懇願により、長崎にやって来て伝えました。
63歳で来日した隠元は長崎の諸寺に留まり、
後に江戸に招かれて徳川綱吉に謁見して信任を得ました。
綱吉は隠元の学徳を高く評価し、山城国宇治に寺領を賜り、
ここに黄檗宗の大本山を創建するよう命じました。
▲京都府宇治市にある黄檗宗大本山・萬福寺
以降、隠元の采配のもと8年の歳月をかけて
寛文3年(1663)に伽藍の竣工を見ました。
隠元の後も江戸時代の後半まで万福寺の住職は中国僧がつとめ、
純中国式禅風を根付かせました。
その宗風は臨済宗に近いが、明代の念仏禅を加味した
浄土信仰と禅との融合を説くところに特徴があります。
読経は中国南部の福建語の発音で行うため、
他宗の読経とは異なる独特の響きがあります。
▲屋根上左右に乗る摩伽羅(マカラ)という想像上の生物
また、建物などは中国式の独特のもので、
屋根の上に鬼瓦の代わりにマカラという空想上の魚が乗るのが特徴です。
さらに、行事や法要も他宗に見られない独特なものが少なくありません。
9月には普度勝という中国式のお盆が行われるほか、
海上交通の守護神として信仰されている媽祖を本尊とする媽祖祭、
関帝祭や元宵祭などの中国の行事が行われます。
現在は宇治万福寺を大本山として、
全国に400ヵ寺ほどの末寺があります。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1927号
失敗しないお墓づくりの相談は『神戸市石材企業協同組合』へhttps://www.sekizaikumiai.com/
(神戸市石材企業協同組合)
2012年12月 2日 17:58
1
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