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HOME > 理事長ブログ > お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)
理事長ブログ
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お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/220918/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/241446/
■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/281630/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271022/
■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271029/
■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/071000/
■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/111005/
■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/10/211122/
■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/091448/
■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/11/101326/
上記のコラムからのつづきです。
禅宗は達磨大師からはじまりますが、
第六祖に慧能(えのう)という禅僧が出て、
曹渓という山に住んで今日の禅宗の基礎を築きました。
そして、慧能の弟子に良价(りょうかい・809〜869)という禅僧が輩出し、
洞山という山に住んで禅風を広めました。
師の慧能が住んだ曹渓と、
弟子の良价が住んだ洞山をとって
曹洞宗と名付けられました。
宋代(8世紀)頃からは臨済宗とともに
中国の禅宗の二大流派として栄えました。
道元(1200〜1253)が入宋して、
洞山第十三世、天童如浄に教えを受け、
足掛け5年に及ぶ留学生活を終えて帰国し、
曹洞禅を広めたのです。
▲曹洞宗大本山・永平寺(福井県)
道元は越前(福井)に永平寺を開き、
禅風を広め、日本の曹洞宗の基盤を確立しました。
道元の禅は只管打坐(しかんだざ)といい、
文字通りひたすら座禅に専念することを旨としました。
しかも、その座禅はただ座って瞑想することではなく、
掃除や炊事など日常の雑務、あるいは、洗面や入浴、
トイレに行くなど日常の行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、
すべてを座禅ととらえ、それらの行動に専念することで、
悟りの境地に至ると考えたのであります。
道元の後には『正法眼蔵隋聞記』を筆録した
永平寺第二世・孤雲懐弉(こうんえじょう)が輩出して、
道元禅の普及を図ったのです。
▲元の曹洞宗大本山、能登の総持寺祖院(石川県)
しかし、第三世・徹通義介の弟子に
螢山紹瑾(けいざんしょうきん)が輩出し、
彼は道元禅の改革を図り、
後に能登に総持寺を開いて永平寺とは一線を画しました。
ここで、曹洞宗は永平寺と総持寺の系統に
分かれることになったのであります。
以降、両者の間には確執が生じ、
一時は戦争になったこともありました。
しかし、江戸時代になると、徳川幕府の配慮で
永平寺と総持寺を同格の大本山と定め、
その後は、両山の住持が交替で曹洞宗の最高権威である
管長を務めることになりました。
現在、曹洞宗は末寺約1万6千ヵ寺を擁し、
浄土真宗に次ぐ、わが国最大級の宗派を形成しています。
▲曹洞宗大本山・総持寺(横浜市)
ちなみに、能登の総持寺は明治31年(1898)に火災に遭い、
これを契機として明治44年(1911)に横浜市鶴見区に移転しました。
ただし、能登の総持寺はその後、再興され、
今も総持寺祖院と呼ばれて多くの信者を集めています。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1924号
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(神戸市石材企業協同組合) 2012年11月11日 17:11
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