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理事長ブログ 2012年9月
お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/220918/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/241446/
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/281630/
■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/09/271022/
上記のコラムからのつづきです。
もともと7世紀頃にインドで成立した密教が
中国で整備されて真言宗という宗派になりました。
平安時代のはじめに弘法大師空海が中国に留学し、
真言宗をわが国にもたらし、独自の体系にまとめ上げたものであります。
▲弘法大師像
空海は帰朝後、高野山を創建して密教の根本道場とし、
さらには官寺(国家で運営する寺院)として創建された東寺(教王護国寺)を
朝廷から賜って密教寺院にしました。
空海の密教は当時の皇族や貴族の間で絶大な支持を受け、
瞬く間に普及しました。
平安時代の末には高野山の座主になった
覚鑁(かくばん)という高僧が空海以来の教義に異論をとなえたのです。
結局、その門下が空海以来の教義に忠実な高野山の保守派と袂を分かち、
鎌倉時代には紀州(和歌山県)の根来寺を根拠地として新たな流派をつくりました。
これが、新義真言宗と呼ばれるもので、
以来、それまでの高野山の系統は古義真言宗と呼ばれるようなりました。
鎌倉時代以降、庶民の間に仏教が広まると、
弘法大師伝説とともに庶民の間にも不動信仰などの密教の信仰が普及し、
真言宗は古義、新義ともに大いに盛況に向かいました。
今も成田山新勝寺などは正月には数百万人が押し寄せ、
他の真言宗の寺院にも多くの人が参詣されています。
また、真言宗のお寺では厄除けなどの護摩供養が行われ、
これも、多くの人々に支持されています。
時代とともに真言十六派と呼ばれるように
多くの流派に枝分かれしました。
▲高野山真言宗大本山/金剛峯寺・根本大塔
古義真言宗には高野山真言宗(大本山・高野山金剛峯寺)、
真言宗山階派(大本山・山階寺)、真言宗醍醐寺派(大本山・醍醐寺)、
真言宗御室派(大本山・仁和寺)、真言宗東寺派(大本山・東寺)、
真言宗泉涌寺派(大本山・泉涌寺)などがあり、
新義真言宗には豊山派(大本山・長谷寺)と智山派(大本山・智積院)、
新義真言宗(根来寺)があります。
▲真言宗須磨寺大本山/須磨寺・山門
現在では、真言宗十八本山となり、私の地元、兵庫県にも、
安産祈願で有名な宝塚市の中山寺(真言宗中山派・大本山)や
同じく、宝塚市にあり、「荒神さん」として人々に呼び親しまれ、
"かまど神"(台所など火を扱う所に祀られる神)として
飲食店の経営者の多くがお参りに行く清荒神清澄寺(真言宗三宝宗・大本山)、
そして、神戸市には、源平合戦ゆかりの須磨寺(真言宗須磨寺派・大本山)などがあります。
真言宗では「南無大師遍照金剛」と称えます。
「南無大師」は弘法大師のことで、宗祖弘法大師に崇敬の念を抱き、
それを称えることによってその加護に授かろうとするのであります。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1908号
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(神戸市石材企業協同組合)
2012年9月27日 10:29
お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/220918/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/241446/
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/281630/
上記のコラムからのつづきです。
六世紀に中国の天台大師智顗(ちぎ・538~597)が大成した宗派で、
『法華経』を最高の教えと位置付け、その教えによって悟りを得ようとするものです。
中国の聖山、天台山を拠点としたことから、天台宗と言われます。
日本には平安時代に伝教大師最澄が伝えました。
最澄は『法華経』の教えを中心として、戒律、禅、密教、浄土教などを
融合した仏教を目指し、これを体系化いたしました。
ここに、日本独自の天台宗が誕生したのであります。
最澄の没後は慈覚大師円仁(第三代天台座主)や、
智証大師円珍(第五代天台座主)などの活躍により隆盛を迎えました。
円仁、円珍の二人はともに唐(中国)に10年ほど留学して、
特に密教を十分に学んできました。
その結果、天台密教が栄え、真言密教を凌ぐ勢いになったのであります。
しかし、円仁と円珍は教理面で解釈を異にし、
密教の作法などについても異なる点が多々あったのです。
そこで、二人の弟子筋の間には確執を生じ、
しだいに激しく争うようになりました。
そして、正暦4年(993)、ついに円珍の派閥の門徒たちは比叡山を下り、
滋賀県の園城寺(三井寺)を拠点といたしました。
以来、「山門派(さんもんは)」と「寺門派(じもんは)」という、
二流派に分かれることになりました。
▲比叡山延暦寺の根本中堂
また、冒頭にて説明しましたように、
天台宗の教えは仏教のあらゆる教えを融合しようとするものであります。
したがって、最澄の時代から特定の宗派に関わらず、
多岐にわたる教典が比叡山に集められました。
比叡山に行けば『法華経』はもとより、
その他の多くの教典を閲覧することができ、
また、それぞれの分野においても良き指導者がいました。
そこで平安時代の中ごろからは多くの優秀な学徒が集まり、
比叡山はさながら仏教の総合大学の様相を呈しました。
浄土宗の法然や曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮など、
鎌倉時代に新たな宗派を開いた祖師たちの多くも
当時は比叡山で学んでいたのでした。
天台宗はまさに日本の仏教の根元としての
役割を果たしたと言っても過言ではありません。
天台宗は比叡山延暦寺を総本山とし、
現在、8,000あまりの寺院が所属しています。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1905号
失敗しないお墓づくりの相談は『神戸市石材企業協同組合』へhttps://www.sekizaikumiai.com/
(神戸市石材企業協同組合)
2012年9月27日 10:22
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