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理事長ブログ 2012年8月
お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/220918/
■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/241446/
上記のコラムからのつづきです。
律宗(りっしゅう)は中国で戒律(僧侶が守るべき規律)の研究に基づいて成立した一派です。
戒律の研究を厳格に守って修行生活をすることによって、悟りを開くことを理想とします。
▲唐招提寺の鑑真和上坐像
日本には奈良時代に中国の鑑真和上が苦難の旅の末に来日して伝えたものです。
井上靖氏の小説『天平の甍(いらか)』で有名な鑑真和上は、
防風雨や海賊に阻まれて5回も渡来に失敗したが、
6回目の挑戦でやっと日本にたどり着くことができました。
その間に11年の歳月が過ぎ、当初の同士はすでに渡日を諦めたり亡くなったりしていました。
鑑真自身も海賊に襲われたり、嵐で難破したりし、
海に投げ出された際に潮で目を痛めてついに失明してしまいました。
それでも決して諦めることなく、ついに初志を貫いて念願の来日を果たしたのであります。
時に鑑真は67歳になっていました。
天平勝宝6(754)年に来日した鑑真は東大寺に戒壇を設けました。
戒壇は僧侶に正式に戒律を授ける施設で、
これによって日本国内で戒律を受けることができるようになり、
多くの僧侶がここで受戒したのであります。
これは、日本の仏教史上、画期的な出来事だったのです。
▲律宗の総本山、奈良市の唐招提寺
鑑真は大和尚の号を賜り、大僧正に任ぜられました。
さらに後には聖武天皇の勅願によって唐招提寺が建立され、
鑑真が住持(住職)となり、天平宝字7(763)年に77歳の生涯を閉じました。
鑑真没後も唐招提寺は戒律研究の根本道場として栄えましたが、
平安時代以降、都が京都に移るとしだいに衰えてきました。
特に平安時代のはじめに、伝教大師最澄が比叡山に大乗戒壇を創設すると、
衰退の一途を辿ることになったのです。
鎌倉時代になると実範(じっぱん)、覚盛(かくじょう)らの尽力によって、
復興を見たが、室町時代には守護大名などに寺領を奪われて再び衰退しました。
ただし、幸いにも兵火にまみえることなく、
伽藍や仏像などは残され、現在も多くの参拝者を集めています。
寺内に納められている鑑真和上像(国宝)は、天平時代の作でありますが、
鑑真の人柄を今に伝える名作として有名であります。
現在、律宗は唐招提寺を大本山とし、24の末寺を擁しています。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1900号
失敗しないお墓づくりの相談は『神戸市石材企業協同組合』へhttps://www.sekizaikumiai.com/
(神戸市石材企業協同組合)
2012年8月28日 16:30
「お墓が突然消えた?」スーパーニュースアンカー『金曜日のギモン!?』に出演!
大切なご先祖様が眠るお墓。
年に5回は亡き父のお墓参りに来ていたAさん。
そんなAさんのお墓がある日突然消えた!
毎週月~金の午後4:48~午後7:00に、
KTV・関西テレビで放送の「スーパーニュースアンカー」。
アンカーマン山本浩之さんが、個性豊かなコメンテーターとともに、
ニュースをいち早く、分かりやすくお伝えする、2時間の大型ニュース番組です
番組内で、アンカーの名物コーナーに成長した『金曜日のギモン!?』。
ギモン隊(記者)が体当たり取材する"異色"のリポート。
食品や住宅などにまつわる身近な疑問から、
社会に潜む矛盾までギモン隊が徹底調査をするコーナーです。
その中で、先日、8月24日(金)に放送された、「お墓はなぜなくなった?」に、
私、能島孝志が「お墓の改葬(お引っ越し)」の解説で出演させていただきました。
"ある日突然お墓が消えた?"
いったいどういうことでしょう。
憤りをあらわにする所有者の男性Aさんと
霊園を管理する業者の言い分は真っ向から対立しています。
お墓を巡るトラブルをギモン調査しました。
■8月24日(金)放送の「スーパーニュースアンカー」、
『金曜日のギモン!?』について詳しくはコチラまで
https://www.ktv.co.jp/anchor/question/2012_08_24.html
「お墓の改葬(お引っ越し)」について詳しくはコチラまで
https://mbp-kobe.com/daiichisekizai/column/21554/
失敗しないお墓づくりの相談は『神戸市石材企業協同組合』へhttps://www.sekizaikumiai.com/
(神戸市石材企業協同組合)
2012年8月27日 07:49
お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/220918/
上記のコラムからのつづきです。
中国で唐の時代に賢首(けんじゅ)大師法蔵(643~712)という高僧が開いた宗派です。
『華厳経(けごんきょう)』という経典に基づき、
この経典に説く毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい)の
蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)を観察し、
その世界に赴くことを目的としています。
蓮華蔵世界というのは世界の中心にいる毘盧舎那如来が、
無数の釈迦を生み出し衆生(すべての人々)を救済し続けるという世界です。
日本には天平8年(736)に唐の道璿(どうせん)が『華厳宗』を伝え、
天平12年(740)に法蔵の弟子だった審祥(しんじょう)が、
この経典を講義して教理を伝えたとのことです。
そして、この教えを受けた良辨(ろうべん)が
東大寺を拠点にその教えを広めたのであります。
▲華厳宗総本山、奈良の東大寺
良辨を開基として東大寺が開かれ、華厳宗の教理にしたがって、
毘盧舎那如来(大仏)を安置する東大寺を総国分寺として各国に国分寺がつくられました。
国分寺計画は『華厳宗』に説く蓮華蔵世界を地上に再現しようとしたもので、
世界の中心(東大寺)にいる毘盧舎那如来が、生み出した釈迦如来を各国の国分寺に安置し、
その威光によってすべての人々を救おうと考えたのでした。
国分寺計画を推進したのは聖武天皇だったが、
この計画を立案したのは良辨を中心とする僧侶たちだったと考えられます。
▲奈良、東大寺の大仏様
奈良時代の末から、平安時代の前半にかけて、しばらく衰退していたが、
平安時代の天暦元年(947)には光智(こうち)という僧侶(東大寺中興の祖といわれる)が、
東大寺に尊勝院と称する華厳宗の専門道場を建て、再び盛んになりました。
その後は鎌倉時代から江戸時代まで数々の学僧を輩出しました。
明治の初年には一時、浄土宗に所属することになったが、
同19年(1886)には独立して再び華厳宗に戻りました。
現在は東大寺を大本山に50箇寺ほどの寺院が華厳宗に所属しています。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1897号
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(神戸市石材企業協同組合)
2012年8月24日 14:46
「スーパーニュースアンカー」(関西テレビ)に出演!
■8月24日(金)放送、「スーパーニュースアンカー」(午後4:48~午後7:00)に出演!
KTV 関西テレビ放送の「スーパーニュースアンカー」。
アンカーマン山本浩之さんが、個性豊かなコメンテーターとともに、
ニュースをいち早く、分かりやすくお伝えする、関西初の2時間の大型ニュース番組です。
その中で、アンカーの名物コーナーに成長した「金曜日のギモン??」に、
私、能島孝志が「お墓の改葬(お引っ越し)」の解説で出演させていただきます。
ギモン隊(記者)が体当たり取材する"異色"のリポート。
食品や住宅などにまつわる身近な疑問から、
社会に潜む矛盾までギモン隊が徹底調査をするコーナーです。
近年増えているお墓の「改葬」。
生まれ育った郷里から現在の住まいの近くにお墓を移される方が年々増えています。
その理由と、市町村役場等への書類上の手続きにも迫ります。
「スーパーニュースアンカー」について詳しくはコチラまで
https://www.ktv.co.jp/anchor/index.html
「お墓の改葬(お引っ越し)」について詳しくはコチラまで
https://mbp-kobe.com/daiichisekizai/column/21554/
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(神戸市石材企業協同組合)
2012年8月22日 15:32
お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.sekizaikumiai.com/director_blog/2012/08/200822/
上記のコラムからのつづきです。
奈良時代から続く宗派の中で、法相宗(ほっそうしゅう)は、
「唯識論(ゆいしきろん)」という思想を研究する宗派です。
唯識とは文字通り、ただ(唯)、識(心)だけが存在するという意味で、
この世の中の存在はすべて心が創り出したものとする思想であります。
法相宗の起源はインドにあり、七世紀に三蔵法師でおなじみの、
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が中国に伝えたのが始まりです。
玄奘は当時、中国で唯識論の経典が不備だったため、
これを求めて西域、インドの17年間にわたる厳しい求法の旅を敢行したのであります。
玄奘がもたらした唯識の経典に基づいて、
その弟子の慈恩大師窺基(じおんだいしきき)が一宗派を大成しました。
これが、法相宗、あるいは唯識宗、慈恩宗とも呼ばれるものです。
日本には入唐して玄奘や窺基に師事した道昭という僧侶が、
白雉(はくち)4年(653)に、奈良の元興寺に伝えたのが最初です。
▲法相宗大本山、奈良の興福寺
その後、入唐して唯識を学んだ玄肪(げんぼう)という学僧が、
奈良時代の天平宝亀3年(717)に、奈良の興福寺に伝えました。
そして、法隆寺や薬師寺なども法相宗に属し、
南都仏教(奈良仏教)の宗派の中では中心的な役割を果たしました。
▲法相宗大本山、奈良の薬師寺
現在は興福寺と薬師寺を大本山として、20ヵ寺ほどの寺院があります。
かつては法隆寺も大本山の一つだったが、
昭和25年(1950)に独立して、聖徳太子にちなんで聖徳宗と改名しました。
このとき、近くにあって法隆寺と関わりの深い、
法輪寺や法起寺といった寺院も聖徳宗と号するようになりました。
また、京都の清水寺は興福寺の傘下にあり、
もともとは法相宗の系統だったが、
戦後は独立して北法相宗を名乗るようになりました。
法相宗をはじめとする奈良時代から続く
宗派の寺院のほとんどは檀家を持ちません。
だから、法隆寺や薬師寺なども檀家制度が敷かれた
江戸時代ごろには極度に経済的にひっ迫しました。
檀家からの奇進などが見込めず、
葬儀や法要を営んで布施を受け取ることもなかったようです。
そんな中、薬師寺は戦後になって高田後胤(たかだこういん)師の
写経勧進により、金堂や講堂などの諸堂が再建されました。
また、興福寺や法隆寺(聖徳宗と改名)なども飛鳥、奈良時代の
貴重な文化遺産が見直され、法相宗の面目を保っています。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1894号
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(神戸市石材企業協同組合)
2012年8月22日 09:18
お墓と宗旨・宗派①宗派について
お墓を建立したら、納骨をする際に墓石に魂を入れる
「開眼法要(かいげんほうよう)」というお式を行います。
仏教では、お墓は建てただけでは、
ただの「モノ」に過ぎないとされています。
それが、開眼法要を修めることによって、
仏様の魂が墓石に入り、ただの「モノ」から仏塔になるのです。
開眼法要は地方によっても呼び名が異なり、
「開眼供養」「入魂式」「魂入れ」「お性根入れ」
などと、呼ばれることもあるようです。
既にご遺骨がある場合には、関係者の都合のいい日を選び、
「納骨法要」と合わせて行なうことが多いようです。
この、「開眼法要」の際に読経をお願いするのが、お寺の僧侶です。
通常は、その家の宗旨・宗派の菩提寺に依頼するのが一般的です。
宗旨・宗派については、浄土宗や天台宗など、
日本には多くの仏教宗派がありますが、
これを、ひと口に「十三宗五十六派」と言っています。
つまり、十三の宗派とその分流の五十六の流派があるということです。
先ずは、奈良時代から続いている宗派に華厳宗(けごんしゅう)、
法相宗(ほっそうしゅう)、律宗(りっしゅう)があります。
華厳宗は東大寺を大本山として50ヵ寺ほど、
法相宗は薬師寺や興福寺を大本山に20ヵ寺ほど、
律宗は唐招提寺を大本山として26ヵ寺あります。
平安時代に開かれた宗派としては天台宗と真言宗があります。
天台宗は最澄によって開かれ、比叡山・延暦寺が総本山。
真言宗は空海が開き、高野山・金剛峯寺を大本山としますが、
時代が下がると、多くの流派に分かれ、真言十六派と呼ばれています。
このほか、平安時代には融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)という、
浄土系の宗派が良忍という僧侶によって開かれました。
鎌倉時代になると、新たな宗派の創設ラッシュとなり、
この時代に仏教は民衆の間に普及し、多くの要望を聞き届けるために
さまざまな宗旨が設立されたのであります。
まず、浄土系では法然上人の浄土宗、
親鸞聖人の浄土真宗、そして、一遍上人の時宗が開かれました。
また、鎌倉時代のはじめに栄西が中国から臨済宗を伝え、
これが、日本への禅宗の初伝になりました。
さらに、栄西の弟子、道元が中国に留学して曹洞宗を伝えました。
臨済宗は京都の南禅寺派や鎌倉の建長寺派など14の流派に分かれています。
また、曹洞宗は福井の永平寺を大本山としましたが、
後に鶴見(横浜市)の総持寺が同格の大本山となりました。
また、日蓮上人は『法華経』を絶対の教えとして、日蓮宗を開きました。
江戸時代には、黄檗宗(おうばくしゅう)が開かれ、
京都の宇治万福寺が大本山になっています。
これらを合して十三派、さらにそれぞれの宗派が
多くの流派に枝分かれして、五十六派と呼ばれています。
戦前、宗教団体法以前に公認された仏教宗派は13宗56派ありました。
しかし、現在では、13派のもとにさらに多くの流派があり、
160ほどの仏教宗派が存在しているといわれています。
また、戦後になって独立し、単立寺院として存立しているところも少なくありません。
たとえば、奈良の法隆寺はもともと法相宗だったが、
聖徳太子と関わりが深いことから、聖徳宗と改めています。
さらに、聖徳太子建立の寺院として知られる大阪の四天王寺は和宗を名乗っています。
浅草の浅草寺は天台宗だったが、本尊の聖観音にちなんで、聖観音宗に改めました。
次のコラムからは、それぞれの各宗派について詳しく書かせていただきます。
~つづく~
※引用文献:日本石材工業新聞 第1889号
失敗しないお墓づくりの相談は『神戸市石材企業協同組合』へhttps://www.sekizaikumiai.com/
(神戸市石材企業協同組合)
2012年8月20日 08:22
本日、8/12(日)に日本テレビ「ここ掘れ!ワンワン」に出演!
本日、平成24年8月12日(日)から日本テレビの
関東ローカルで放送される新番組「ここ掘れ!ワンワン」がはじまります。
世間で話題の出来事や気になる疑問を個性豊かなディレクターが
掘って掘って掘りまくる作り手の顔が見える新型情報バラエティー番組です。
そこで、第1回目のテーマは「お盆」。
お盆といえば「お墓」。
...ということで、私が出演させていただくことになりました。
司会は有吉弘行さんと森麻季アナウンサー、
ゲストには三遊亭円楽さん、土田晃之さん、光浦靖子さん、
ラフルアー宮澤エマさん、といった方々が出演される予定です。
私は、といえば、全国の石材関連業者、1,200社以上が加盟する団体、
㈳日本石材産業協会が認定する「1級お墓ディレクター」資格者としての出演です。
番組内では、「お墓ディレクター」とは、どのような資格なのかを解説し、
実際に霊園内において、お墓に使用されている石種の識別等も行います。
関西エリアで放送されないのが残念ですが、
関東方面にお住まいの方は、ぜひご覧になってください。
※日本テレビ、新番組「ここ掘れ!ワンワン」について詳しくはこちらまで
https://www.ntv.co.jp/program/detail/21812461.html
失敗しないお墓づくりの相談は『神戸市石材企業協同組合』へhttps://www.sekizaikumiai.com/
(神戸市石材企業協同組合)
2012年8月12日 09:32
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