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理事長ブログ 2011年6月

神話からみる日本の「あの世」⑦・最終話

~前のコラムからの続きです~

神話にある天上・山上(山中)・海上(海中)・地下の、
四つの他界は天皇や私たちの祖先(あるいは日本民族の祖先)が
この国に来臨した二つの方向に分かれます。

一つは高天原から高千穂山頂に降臨した垂直方向です。
もう一つは初代神武天皇の妣(なきはは・亡母)は海中のワニで、
海上他界の常世国(とこよのくに)からやってきた、という水平方向です。

この二つは日本民族の起源が
「山の民」と「海の民」であったことに関係しています。

二つの方向が述べられているのは、
天皇家や日本民族の祖先が来た方向を示すためだけではありません。

古来、日本人は、死後「魂のふるさと(原郷)」である「山に帰り」、
あるいは「海の彼方に帰る」と信じられているからです。

それは死後の魂が、祖先がやって来た原郷へ「帰る」ことを意味しますし、
今日まで葬儀やお墓の民族に生きている重要な意味を含んでいます。

                     ~おわり~  

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より

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神話からみる日本の「あの世」⑥

~前のコラムからの続きです~

天上他界の「高天原(たかまがはら)」は神々の国で、
民族として死者の霊が「氏神様(神霊)」と考えられるようになっても、
ほとんど山上他界までしか昇らず、
天皇(皇族)以外は高天原までのぼる、という概念はなかったようです。

古代の葬儀をえがいた天若日子(あめのわかひこ)の神話を『日本書記』は
「尸(かばね)を天(あめ・高天原)に到(いた)さしむ。
便(すなわ)ち喪屋を造りて殯(もがり)す」として、
天を死者の他界としますが、これは例外で、
『古事記』では天ではなく下界の「中津国」です。

こうした背景には、高天原から天降(あまくだ)るのは
天皇系(日本民族の祖であり最初の統治者)とされた
「天孫降臨(てんそんこうりん)」思想と関係があるようです。

また、「神話」を読むときもっとも注意を要するのは天皇の問題です。

多くの学者が指摘しているように、
日本神話は天皇(と藤原氏)の正当性を
主張することを目的に編集された、ということです。

この点に注意して読むと、日本民族のさまざまな隠れた姿が浮かび上がってきます。

                     ~つづく~  

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より

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神話からみる日本の「あの世」⑤

~前のコラムからの続きです~

以上の他界をみると、天上他界・海上他界・山中(山上)他界・地下他界の
四つの地域に分けることができ、
空間の方向としては垂直型と水平型に分類できます。

このうち「死者の国」とされる他界は、
地下他界の「黄泉の国(よみのくに)」、
海上他界の「常世国(とこよのくに)」、
山上(山中)他界の「神奈備山(かんなびのやま)」です。

ただ「常世国」は、理想郷(中国の道教の影響を受けて、
神仙の楽土で不老不死の国「蓬莱山・ほうらいさん」とし、これを「とこよのくに」と読ませています)
という意味がありますが、
後には仏教でいう死後の「観音浄土」=「普陀洛(ふだらく)」
または「補陀洛(ふだらく)」浄土と習合される(同一視される)ようになります。

                     ~つづく~  

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より

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神話からみる日本の「あの世」④

~前のコラムからの続きです~

「根の国・妣が国(ははがくに)」は『古事記』によると、
スサノオが海原を支配することを拒否して、
「僕(あ)は妣の国、根の堅州国(かたすくに)へ行きたい」
と泣きわめいた話があります。

この「妣(はは)」は亡き母イザナミですから、
「根の国」とは前の地下他界の
「黄泉の国(よみのくに)」のことになります。

「神奈備山(かんなびのやま)」の「神奈備」とは、
神が天降(あまくだ)った神聖な山や森のことです。

その山については『万葉集』の「挽歌」に多くの用例がみられ、
『風土記』や『祝詞(のりと)』にもあり、
山上他界・山中他界といわれます。

                     ~つづく~  

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より

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神話からみる日本の「あの世」③

~前のコラムからの続きです~

「黄泉(よみ)の国」は「根の国」ともいわれ、
男神のイザナギの命と女神のイザナミの命が
日本(大八洲・おおやしま)の国づくりをしたとき、
イザナミが火の神(迦倶土神・かぐつちのかみ)を
生んだため亡くなって逝った死者の国です。

イザナミの命やスサノヲの命が支配する地下他界です。

妻の死を嘆いて、黄泉の国をたずねたイザナギが目にしたのは、
全身にウジ虫がわき頭髪から足先までに八つの雷神(いかづちのかみ)が宿る、
恐ろしいイザナミの亡骸(むくろ)でした。

黄泉の国から戻ったイザナギは「死の穢(けが)れ」を滌(あら)い清めるため
筑紫(つくし)の日向(ひむか)で「禊(みそ)ぎ祓(はら)い」をしました。

これが「死穢(しえ)」と「禊ぎ」の根拠で、
今日まで民族学・神道・仏教学・宗教学で、
お墓や葬儀などの「死穢」としてとても大きな影響を及ぼしています。

そして、ここでは死者の国、つまり他界へ生者が行ったり帰ったりできる、ということです。

『日本書記』には黄泉の国を「殯歛の処(もがりのところ)」としている文書もあります。

これは、お墓を考える場合にとても重要な意味があります。

「殯歛の処」は「殯宮(もがりのみや・ひんきゅう)・「殯屋(もがりや)」ともいわれ、
埋葬するまで遺体を一定期間、仮に安置する所です。

なお『古事記』には、イザナギの命が禊ぎをしたとき、
天照大神(あまてらすおおみかみ)・月読之命(つくよみのみこと)・
須佐之男之命(すさのおのみこと)の三貴子(さんきし)があらわれ、
それぞれ高天原(たかまがはら)・夜の食国(よるのをすくに)・海原を治めるよう命じました。

この海原が「常世国(とこよのくに)」です。

                     ~つづく~  

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より

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神話からみる日本の「あの世」②

~前のコラムからの続きです~

「高天原(たかまがはら)」は
一つの例外をのぞいて「死後の世界」ではありません。
地上にあるこの世の「中つ国・なかつくに」
(豊葦原中津国・とよあしはらなかつくに)に対する
天上界の「天つ国・あまつくに」(天津神の世界)で、
天井他界といわれ、
天照大神(あまてらすおおみかみ)が治める
神々のすむ国です。

「常世国(とこよのくに)・妣(はは)が国」は、
海のはるか彼方にある理想的な
長寿のくにといわれる海上他界です。

『古事記』には、大国主命(おおくにぬしのみこと)とともに
日本をつくった少彦名の命(すくなびこなのみこと)が
国堅めを終わって帰っていった海原です。

また神武天皇(御毛沼命・みけぬのみこと)が
海上を渡り「常世の国」へ行き、
別の兄弟(稲氷命・いなひのみこと)は海原に入って
「妣(はは)の国」へ行った、という用例もあります。

「妣(はは)」とは「亡き母」の意味で、
ここでは玉依毘売命(たまよりひめのみこと・玉依姫)のことです。

『丹後国(たんごのくに)風土記』逸文(『万葉集』巻九)では、
浦島伝説の浦島が亀に乗って行った常世(とこよ)を
「蓬山(とこよのくに)」(蓬莱山・ほうらいさん)といいます。

これは中国の道教の影響を受けたもので、
「神仙(しんせん)」が住む不老長生の楽土のことです。

民俗学では沖縄の「二ライ・カナイ」(万物や霊魂の原郷)ともいわれ、
のちに仏教が入ってくると観音浄土の
「補陀洛山・ふだらくさん=補陀洛浄土)と習合します。

                     ~つづく~  

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より


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神話からみる日本の「あの世」①

『古事記』、『日本書記』、『風土記』、『万葉集』、『祝詞(のりと)』
などに出てくる神話的な「他界」、つまり「あの世」についてみてみます。

他界とは、現実の世界の「この世」「現世」とまったく異なる
非日常的な理想郷や聖なる「あの世」「来世」「前世」のことで、
神や魂(霊魂)とも深く関わっています。

しかし日本の他界は、この世と断絶したはるか遠くの別世界ではありません。
注連縄(しめなわ)を張り、気持ちを変えることで簡単に「他界」をつくることもでき、
この世と往き来できる世界と考えられています。
これはお墓にも通じる重要な特徴です。

神話には「高天原(たかまがはら)」、「常世国(とこよのくに)・妣(はは)が国」、
「黄泉(よみ)の国」、「根の国・妣が国」、「神奈備山(かんなびのやま)」、
「日の若宮」、「海宮(わたつみ・竜宮城)」など複数の他界が出てきます。

                     ~つづく~  

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より

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神話から見る日本のお墓の原点⑨最終話「三貴子の分治」

~前のコラムからの続きです~

■三貴子(さんきし)の分治(ぶんち)

イザナギはたいそう喜び「私はたくさんの子を次々と成り立たせたが、
最後に三人の貴(とうと)い子たちを得ることができた」というと、
首飾りの玉をゆらゆら揺らしながら

天照大神に与えて「おまえは高天原を治めなさい」、

月読命には、「お前は夜の世界を治めなさい」、

スサノヲの命には「お前は海の世界を治めなさい」と、
それぞれに(分治を)任されました。

みなイザナギの言いつけ通り治めましたが、
スサノヲだけがそむいて治めず、
あごひげが胸まで伸びても泣き叫んでばかりいます。

その泣き方は青々した山が枯れ、
海河が干し上がるほど激しいものでした。

すると、まるでハエがうるさくドッとわき出したように
悪神があたりに満ちあふれ、わざわいが起こり始めました。

父神イザナギが「なぜ任せた国を治めずに泣きわめくのか」ときくと、
スサノヲは「私は亡くなった母さんが行った妣(はは)の国、
根の堅洲国(かたすくに)へ行きたくて泣いているのです」と答えました。

これを聞くと父神はたいそう怒り
「それならお前はこの国に住んではならん!」といって、追放されてしまいました。

なお、イザナギの大神は淡海(あふみ→近江=滋賀県)の
多賀神社に鎮座しておられ(まつられてい)ます。

            ............(以下は省略します)

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より

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神話から見る日本のお墓の原点⑧「禊祓(みそぎはらい)と死穢(しえ)」

~前のコラムからの続きです~

■禊祓(みそぎはらい)と死穢(しえ)

イザナギは「なんと穢(きたな)い国へ行っていたのか。
身体の禊(みそ)ぎをしなくては」といって、
筑紫・日向(ひむか)の阿波岐原(不明・あわきはら)に到り、
禊(みそ)ぎと祓(はら)いをしました。

そのとき身に着けたものを
脱ぎ捨てるたびに十二の神々が出来ました。

また中くらいの流れの瀬にもぐって身体をすすいだとき、
穢繁国(けがらわしきくに=黄泉の国)で触れた汚垢(けがれ)から、
渦々(まがまが)しく、よごれた二つの神が出来ました。

それで、そのまがまがしさを直す二神
「神直毘神(かむなほびのかみ)・大直毘神(おおなほびのかみ)」が出来ました。

また水底にもぐって身を清めたときに
海(わたつみ)の神・航海の神たちが出来ましたが、
海の神々は安曇連(あずみのむらじ)が先祖神として奉拝し、
航海の神々は墨の江(すみのえ・大阪住之江「住吉神社」)の三神です。

それからイザナギが左の目を洗ったとき天照大神(あまてらすおおみかみ)が、
右の目を洗ったとき月読命(つくよみのみこと)が、
鼻を洗ったときにスサノヲの命(建速須佐之男命・たけはやすさのをのみこと)があらわれました。

                     ~つづく~  

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より

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神話から見る日本のお墓の原点⑦「黄泉の国」

~前のコラムからの続きです~

■黄泉(よみ)の国

そこでイザナギは、千人でやっと引き動かすことが
できるほど大きな「千引石(ちびきいわ)」を
黄泉津比良坂(よもつひらさか)まで引き、入り口を塞ぎました。

そしてイザナギとイザナミの二神はその石を中にして向かい合い、
互いに最後の決別を告げました(「事戸を渡す・ことどをわたす」)。

イザナミは「愛する夫よ、こんな仕打ちをされるなら、
私はあなたの国の人を一日に千人、首を絞めて殺します!」と。

イザナギは「愛しい妻よ、お前がそうするなら、
私は日に千五百の産屋(うぶや)をたてるまでだ。

このため、人は一日にかならず千人が死に、
千五百人がかならず生まれるようになりました。

また、こういう訳でイザナミの命(みこと)のことを名付けて
「黄泉津大神(よもつおおかみ)」(あの世の大王・冥界の大王)と言うようになりました。

そして黄泉の坂を塞いだ石のことを「道反しの大神(ちかえしのおおかみ)」、
あるいは「塞ります黄泉戸大神(さやりますよみとのおおかみ)」と言います。

黄泉津比良坂は、今は出雲国(いずものくに)の伊賦夜坂(不明・いふやさか)と言います。

                     ~つづく~  

※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より

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