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理事長ブログ 2011年5月
神話から見る日本のお墓の原点⑥「黄泉の国」
■黄泉(よみ)の国
イザナギは亡き妻に会いたくなり、
イザナミの後を追って地下の黄泉の国へ行くと、
入口で妻が迎えてくれました。
イザナギが「愛しい人よ、あなたとつくった国は
未完成のままだ。さあ帰ろう」というと、
妻は「もっと早く来てくれなかったのが残念です
黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、もう戻れません。
でも、すてきなあなたがこんなところまで来てくれたのだもの、
たいへんなことだわ。私もなんとか戻りたいので、
黄泉の国の神と相談してみます。
だけどその間は、決して私を見ないで!」といって、
イザナミは宮殿の内に戻りました。
しかしどんなに長い間待っても妻は戻りません。
とうとう待ちきれなくなって、
結いあげた左の髪から神聖な櫛(くし)の端を一本折り、
火を灯して中に入ってみると、
イザナミの亡骸(むくろ)には蛆虫(うじむし)がたかり、
頭・胸・腹・陰(ほと)・両手・両足に
大小八つの恐ろしい雷(いかづち)が住んでいました。
イザナギは恐ろしくなって逃げ出すと、
イザナミは「私に恥をかかせた!」といって、
黄泉の国の魔女たちに後を追わせました。
イザナギはさまざまな手を使ってなんとか逃れましたが、
今度は、八つの雷神と千五百もの黄泉の軍団が追いかけてきました。
それもどうにか逃れると、
とうとう最後はイザナミ自身が追いかけてきます。
~つづく~
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月29日 11:47
神話から見る日本のお墓の原点⑤「火の神を殺害」
■火の神を殺害
イザナギは「いとしい妻が、
子供一人と引き替えになるとは」と悲しみ、
妻の枕元に腹ばい、亡き伏したとき、
涙から現れたのは泣き女の神でした。
そして亡きイザナミの神を
出雲(島根県)と伯耆(ほうき・鳥取県)の国境にある
比婆山(ひばやま)に丁重に埋葬しました。
それからイザナギは、腰の長剣を抜いて
火の神の首を斬りはねました。
そのとき剣先の血が神聖な岩に飛び散り、
石を切り裂く鋭い剣の神と、
根を切り裂く鋭い剣の神、石筒の神が現れ、
剣の根元の血からは溶鉱(ようこう)の甕(かめ)と
樋(とい)の神、雷(いかづち)の火花の神など、
製鉄に関する神々が現れ、
殺された火の神の頭・胸・腹・陰(ほと)・両手・両足からは
山・森などの神々が現れました。
~つづく~
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月27日 15:58
神話から見る日本のお墓の原点④「イザナミの死」
■イザナミの死
国生みが終わった二神は、
次にいろいろなものの神を生みます。
不明なものが多いのですが、
岩、土、部屋、屋根葺き、家、壁などの
住居に関する神々を生み、
次に海の神、海と河の港、波と水面の神々や、
風、雨、泉、木、山、野などの神々を生み、
鳥のように速い天鳥船(あまのとりふね=鳥の石楠船・いわくすぶね)の神、
そして食物の神と火の神を生みました。
ところが火の神を生んだイザナミは
御陰(みほと)を焼かれて床に伏せてしまいました。
吐き出したものから金属の神が生まれ、
屎(くそ)からは水の神が生まれ、
最後に食べ物をつかさどる神が生まれました。
しかし、とうとうイザナミは
亡くなってしまい(神避り・かむさり)ました。
~つづく~
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月24日 14:40
神話から見る日本のお墓の原点③「国生み」
■国生み(くにうみ)
二神が出会うと、まずイザナミが
「なんてすばらしい男性でしょう!」と声をかけ、
イザナギも「なんて美しい女性だ!」と声をかけ合いました。
しかしイザナギは「でも女性が先に声をかけるのは、うまくない」と。
そして生まれたのは水蛭子(みずひるこ)という
背骨がない不具な子だったので葦船(あしぶね)に入れて流しました。
次に生まれた子も淡(あわ)のような島でした。
二神は相談して「できのよくない子だ。天の神にたずねよう」。
天の神は占いをして「女性が先に声をかけたのがいけなかった、
もう一度やり直しなさい」と。
いわれた通りやり直して生まれたのが淡路島です。
続いて四つ顔のある四国、三つ子の隠岐島、
四つ顔の九州、壱岐島、対馬、佐渡島、
大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま・本州)と
次々に八つの島を生んだので、
この国を「大八島(おおやしま)」といいます。
その後も吉備の児島、大島、姫島、五島列島など
六つの島を生んで、国生みが完了しました。
~つづく~
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月23日 13:17
神話から見る日本のお墓の原点②「国生み」
■国生み(くにうみ)
高天原(たかまがはら)の神々はイザナギとイザナミに、
「この国をしっかり固めてつくりなさい」といって、
天の沼矛(あめのぬぼこ)を与えました。
二神は天の浮橋(あめのうきはし)から天の沼矛をおろし、
かき回して引き上げると、矛(ほこ)の先から
したたり落ちた塩がコロコロと固まってオノコロ島ができました。
二神はその島へ下りて、天の御柱(あめのみはしら)を立て
八尋(やひろ)の宮殿をつくりました。
男神イザナギが女神イザナミに
「あなたの体はどんな具合になってる」と尋ねると、
「うまくできてるけど、まだふさがってない所が一か所あります」と。
イザナギは「私の体もうまくできているが、
できすぎた所が一か所ある。
私のできすぎた所をあなたのまだできてない所へ
刺し塞(ふさ)いで国生みをしよう、いかがです」
「それはいいですね」。
「ではこの雨の御柱をまわって、
出会った所で婚(まぐわ)いしよう」と約束し、
「あなたは右から、私は左からまわろう」。
~つづく~
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月21日 12:54
神話から見る日本のお墓の原点①「天地のはじめ」
天地の始まり、神々の誕生、
そして死、死から死後の世界へと展開し、
日本人の原点となる「世界観」や「死生観」の中で、
「死」や「けがれ」、「お墓」の問題が語られています。
■天地のはじめ
始めに天の中心と、万物を生み出す
二柱(ふたはしら)の神があらわれます。
天地は混沌(こんとん)として土地は固まらず
ブヨブヨした水に浮かぶ油のようで、
クラゲみたいにただよっていました。
そのとき葦(あし)が芽吹くような勢いの神があらわれます。
そして天と地を安定させる二柱の神、
天地の間の雲の神、泥と砂の二柱の神、
多くのものを生み出すため男と女にわかれた二柱の神、
男根と女陰(ほと)をあらわす二柱の神、人の顔をあらわす神、
(男女を結びつけて命を生み出す)不思議な調和の力の神が次々とあらわれ、
最後に、姿がととのった男女の、
結婚をいざなう男の神「イザナギの命(みこと)」と
女の神「イザナミの命」の二柱の神があらわれて、
高天原(たかまがはら)という神々の国が誕生しました。
~つづく~
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月20日 16:47
東洋人の埋葬方法
儒教や風水思想、あるいは道教の考えが強く残っているので、
今でも土葬が多く、土饅頭(どまんじゅう)型や亀甲型のお墓をつくります。
儒教では、ご先祖をお祀りする「先祖祭祀」と、
父母に仕える「孝(親孝行)」が生活の基本にあり、
身体を大切にする考えがあります。
例えば「両親からもらった身体を傷つけないことが孝の始まり」とか、
「孝行とは両親につかえることに始まり、
...ご先祖様を念(おも)うこと」と儒教の経典にあり、
遺体を焼くなどもってのほかで、
遺体を保存できる土葬が伝統的な葬法となっています。
風水では、亡き両親のお骨を通じて
子孫に繁栄と幸せがもたらされる、という考え方から、
遺体(特にお骨)を大切にします。
道教では「不老長生」を願い、
「丹砂(たんさ)・朱沙(しゅさ)・辰沙(しんしゃ)」など
水銀を原料とする不老不死の仙薬がつくられました。
このため古代中国では人骨やお棺の内側に
「朱」を塗って「不死」を願う習慣が生まれました。
また遺体保存のため木炭を棺のまわりに詰めます。
以前、中国の長沙で発掘されて話題になった
「馬王堆墓(まおうたいぼ)」の棺と槨(かく・棺の外箱)のあいだに
木炭がぎっしり詰められていて、婦人の遺体の保存もよく、
2000年あまり前の皮膚に弾力さえ残っていたそうです。
なお、日本の古墳にも棺の内側や石室の壁に朱を塗ったり、
木炭を詰めた遺跡が数多くありますが、
それは古代中国のこうした影響を受けたものです。
また、古代中国では塚墓(ちょうぼ)の上に植樹する習慣がありました。
植える樹は「松柏(しょうはく)」とあり、松と柏でした。
この習慣は早くから日本に伝わっていて、
日本の文献にもでていますし、
戦前まで日本海側では、海岸の松林が、
古くから墓石のない墓地だったところとして残っています。
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
神戸のお墓の相談なら「和型墓石」から「デザイン墓石」まで神戸市石材企業協同組合へ
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月19日 18:49
火葬は「火あぶり」?として嫌うカトリック信者
キリスト教のカトリックでは、
火葬して遺体がなくなるのをとても嫌います。
それは、「最後の審判の日」に遺体がないと
神の国・天国へ往けない、と信じられているからです。
また、人々は教会の中の、
キリスト像や聖者の遺体に少しでも近い場所に埋葬されて、
聖者とともに天国へ往くことを願う「聖者崇拝」もあります。
カトリックでは、特に火葬は
魔女や異端者の拷問刑である
「火あぶり」とみなされるので敬遠された、
ともいわれています。
こうしたことから、カトリックの国が
文明国の中で最も火葬率の低い原因となっています。
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
神戸のお墓の相談なら「和型墓石」から「デザイン墓石」まで神戸市石材企業協同組合へ
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月15日 16:07
天国への道を鳥に託すチベットの「鳥葬」
![20091030180234[2].jpgのサムネール画像](/director_blog/assets_c/2011/05/20091030180234[2]-thumb-850x637-thumb-580x434.jpg)
チベットでは、亡骸(なきがら)を
ハゲ鷲が食べやすいように細かく切り砕きます。
亡骸を鳥に食べられることで
死者の霊を早く天界に運んでもらう、
と信じている鳥葬(ちょうそう)の国なのです。
しかし、すべてを鳥葬にするのではなく、
現実には、土葬や火葬・水葬それに、ミイラもあります。
同じく鳥葬のイスラム教の原型といわれる
古代ゾロアスター教では
「死者は不浄であり、土葬・水葬・火葬も不浄な行為で、
神聖な火で不浄な死体を焼くことは神への冒涜」
という教えがあります。
インドのゾロアスター教徒のためには、
鳥葬の場所で、また彼らのお墓でもある有名な
『沈黙の塔』がボンベイにあります。
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
神戸のお墓の相談なら「和型墓石」から「デザイン墓石」まで神戸市石材企業協同組合へ
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月 7日 15:35
遺骨を川に流すインドの葬式
▲"聖なる河"「ガンジス川」
民族が違うと、お葬式、お墓のつくり方、
埋葬の仕方、その意味などが大きく違ってきます。
なぜなら、それぞれの民族は
「死」や「死者」のとらえ方、
意味づけが違うからです。
つまり民族宗教が違うからです。
インドのヒンズー教では、
幼児と出家者は、土葬ですが、
それ以外はほとんど火葬にします。
死者の亡骸(なきがら)を火葬するとき
プレータとよばれる霊魂は
頭蓋骨から出てあの世へ旅立ち、
その間の10日間に新しい身体を得るために生まれかわります。
そして、13日目のサピンダナ儀式の後、
めでたくあの世に到達して祖霊たちの仲間に入り
安住する、と信じられています。
あとに残ったお骨は霊魂のぬけがらですが、
"聖なる河ガンジス"に流します。
特に偉大な聖人や国王などでない限りは、
お墓をつくることはありません。
同じインドでも、イスラム教では
「火葬は神を冒涜する」という考えがあるので土葬にします。
しかし霊魂は埋葬した翌日から肉体から抜け出る、
と信じられていますから、土葬は簡単なものですが、
顔を聖地メッカに向け右側臥位(うそくがい)にします。
もちろんお墓参りの習慣もありません。
※日本人のお墓(小畠宏允著・日本石材産業協会発行)より
神戸のお墓の相談なら「和型墓石」から「デザイン墓石」まで神戸市石材企業協同組合へ
(神戸市石材企業協同組合)
2011年5月 4日 14:39
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