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神戸市立追谷墓園の歴史
市内中央部山手の住宅地に接した山麓部に位置し、
神戸市の象徴というべき錨山に通じており、
城ヶ口墓地を移転するために大正14年に神戸区(当時)が創設し、
昭和23年に神戸区から引き継ぎました。
面積は4.3haで墓所使用数は約3,000区画です。
昭和13年7月に阪神大水害を受け、
現在の公園様式に復旧され、小橋が多いのが特色です。
昭和42年7月の集中豪雨により再度被害を受け、
原形どおり復旧して今日にいたっています。
再度山に浮かぶ、神戸市のマークのすぐ下一帯が、追谷墓園です。
現在、使用者の募集は受け付けておりません。
※神戸市施設情報より
失敗しないお墓づくりの相談は「神戸市石材企業協同組合」へ
(神戸市石材企業協同組合) 2010年11月16日 14:34
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